熱海殺人事件~1973初演版/9PROJECT@theater新宿スターフィールド

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豊洲の土に還っているどさんこ先生から「これ観といたほうがいいよー」と言われ当日券で観ましたよ。ザ・小劇場!って感じで若干怯むも、日曜日真っ昼間の新宿二丁目の雰囲気ととても合っていておもしろかった。小劇場の客層こんなんなんだ!?って驚きもしたw つかファンなのかな?いかにも教養のありそうなおじさまおばさまが多めで、普段2.5次元などに足しげく通っている身からすると「私三十路なのに下から数えたほうが絶対早いやつ!!」みたいな。むしろ若輩者ベスト15くらいに入っていたのでは。演劇好きなおじさまおばさまってホンマにいるんやな…!

戸塚さん主演・カズキヨ演出の『熱海殺人事件』を観てからこの作品に妙にハマってしまい、それ以来なんだかんだ年1ペースで何かしらの『熱海』を観ている。が、今回のやつはつかこうへい氏の戯曲をそのまま起こした“初演版”。つかさんが自ら演出をする前の戯曲を板の上に起こしたということで、いわゆる“つか演出”はあんまりないんですね。白鳥の湖とか燕尾服とか(←こういうのがきっとつか演出の定番なんだよね?あんまりよくは知らないんですが)。

演出以外にも削ぎ落とされているものはとても多い。たとえば木村伝兵衛部長刑事と花ちゃんの関係とか、熊田刑事の縁談話とか、アイちゃんが整形して水商売をしていたとか、そういうけっこう重要っぽいのがことごとくない(ちなみに花束で金ちゃんを殴るのはアイちゃん。マジかよ)。そうして何が際立つかと言えば「金ちゃんの殺人を伝兵衛(たち)が立派に仕上げる」という話の本筋なのですね。ゆえにすごくシンプル! いかにこれまで私がド派手な演出に目くらましされてたかっちゅー話よ!w いや好きなのはド派手なほうなんですけど! 私は世界中のありとあらゆるけれん味を全面的に愛してるから!
話を戻して。前説でも語られていた、カミュ『異邦人』との関連。説明されるともはや『熱海』って『異邦人』のオマージュなのでは?とすら感じさせるものがある。まあ私『異邦人』読んでないんだけどね!
つまり「動機なき(不十分)殺人」は認められない、というのが『熱海』および『異邦人』の世界観で、伝兵衛たちはそれを知っているからなんとか金ちゃんを立派な犯人に育てようとする(美しい物語を仕立て上げる)。よくよく考えればハッとする話です。だって私、どんな『熱海』を観ても「金ちゃんはなんでアイちゃんを殺してしまったのかな」って考えてしまっていたから。
初演版の脚本にはその確固たる動機が描かれていないからこそ、観客や演出家たちは解釈によって動機を生み出そうとしたんだなぁ。たとえば「都会で変われたアイちゃんへの嫉妬」とか、「愛憎入り混じるがゆえ殺してしまった」とか、そういうの。
でもそもそも動機なんてなかったのでは? っていうのが初演版を観ての驚き……つーか、目からうろこな解釈でした。「太陽がまぶしかったから」という動機の殺人があるならば、アイちゃんがふと口にした「面倒なんよ」が直接的な引き金になることもあるだろう。それ以上でも以下でもない「動機」をあれこれ解釈してしまう私と週刊誌や新聞記者は等しく無慈悲・薄情な人間なのではないか、みたいなところ。はっとした。私は全然『熱海殺人事件』を理解していなかったかもしれない。

このあたりはパンフレットの演出・渡辺和徳氏の言葉に詳しいので引かせてもらいます。

 カミュは自作について、このように語っています。
 「母親の葬儀で涙を流さない人間は、すべてこの社会で死刑を宣告される恐れがある、という意味は、お芝居をしないと、彼が暮らす社会では、異邦人として扱われるより他はないということである」
 お芝居をすることでしか社会に受け入れられないということは、極論すれば、社会に気に入られなければ“存在しない”も同じである、ということになります。貧しい職工である大山金太郎の事件は、三行止まりの事件にすぎません。熱海=女工=腰ひもでは、世間には受け入れられないのです。それはすなわち、必死に生きようとしていた大山やアイ子の存在そのものが拒否されているということでもあります。

そんな金ちゃんを立派な存在に仕立て上げようとする伝兵衛刑事はさながらお父さんのようでした。でもそこから先は……というのが『熱海殺人事件』のまたおもしろいところなんだけど、結末の意味に関しては私もまだちょっとよく考えられてないから保留。

で、どさんこせんせも言っていた『熱海殺人事件』は演出家とか役者とかの話でもある、っていうやつ。

先の引用にも通ずるし、つまり「人生は舞台、人はみな役者」ということでもある。演じるように生きるべし、というのは人生を楽しく(または生きやすく)するためのライフハックだ。でもそれができない人はどうすればいいんだろう。大根役者が気楽に生きるにはまだ早い、というか、『熱海殺人事件』が書かれて何十年経ったいまも、大根役者の生きづらさは全然残ってるよなあ、などと思ったりしました。

つって、別にこの読み解きかたが100%正解というわけでもないのが『熱海』のおもしろさだよなーーー。誰にスポットライトを当てるか、どういう役者が演るかでテーマそのものが色を変えるのが『熱海』のおもしろさなのでしょう。戸塚さんが金ちゃんを演った『熱海』は貧富と美醜とアイデンティティ、美しい若手俳優で固めたNEW GENERATIONは若者の成長と美学、みたいな。中尾明慶くん(金ちゃん)と風間杜夫さん(伝兵衛刑事)の『熱海』はわりとまっすぐというか、爽やかな成長物語だった気がするし。個人的にはやっぱり戸塚版の「おめーが美男子だったからブスのアイちゃんは死んだんだよ!」みたいな「そ、それなー!」感が刺さりました。えーあれもう5年前…引く…

帰りに紀伊國屋寄ったらミカティさん&岡ちゃんの『熱海』がもう始まっていてビビった。こっちも観なければー!