さぁ、油断せずにいこう/ミュージカル『テニスの王子様』4thシーズン 青学 vs 氷帝

ちゃんと観たものを記録しておこうと誓ったはずなのに、2年もブログをサボっている。そんな私がブログの存在を思い出したのは、さすがにさすがに書いておかないといけないものにハマってしまったからです。そう、ミュージカル『テニスの王子様』…若手俳優の登竜門、2.5次元舞台の先駆け、2023年には20周年を迎える2.5次元界の古典ことテニミュです。青春学園氷帝学園の関東大会での戦いを描く「4thシーズン 青学vs氷帝」公演が、3月5日に幕を下ろしました。

www.tennimu.com

東京(TACHIKAWA STAGE GARDEN):2023年1月7日(土)~15日(日)
大阪(メルパルクホール大阪):2023年1月20日(金)~29日(日)
福岡(キャナルシティ劇場):2023年2月3日(金)~5日(日)
岐阜(土岐市文化プラザ サンホール):2023年2月17日(金)~19日(日)
東京凱旋(TOKYO DOME CITY HALL):2023年2月25 日(土)~3月5日(日)

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2.5次元は文学にもなれる/舞台「文豪とアルケミスト 綴リ人ノ輪唱」

えれーもん観に行くぜ、という気概で行って、えれーもん観た、と思って帰ってきた。観ました。略称は「文劇」で行くわね。これは第3弾。めっちゃネタバレします。マジで死ぬほどクリティカルなネタバレをします!!!!!!!!

bunal-butai.com

私のスペックとしてはゲームは初期だけちょいちょい触った、文劇1がめっちゃ好きでその年の名作大賞(私の)になった、文劇2も観たがなぜかあんまり覚えてない、という感じ。推しはオダサクです。無頼派かわいい。

いやこれね、最初から激重のフラグは立ってたんですよ。吉谷さんのコメントこれだから。

 文学はその時代の世相を反映しているものと思います。当時の作家の生き様が色濃く作品に残ります。その中で現代を生き抜く為の大切なテーマが浮き彫りとなり、突き刺さる言葉が今を生きる我々の胸を響かせます。

我々はこの舞台を一つの文学として創作します。

侵蝕者と共に現代の困難に打ち勝つヒントとなり得るエネルギーに満ちた物語を作ります。

我々の作る動く文学作品をどうぞ、その目に焼き付けて頂ければ幸いです。

舞台「文豪とアルケミスト」北原白秋役は佐藤永典、室生犀星役に椎名鯛造(コメントあり) - ステージナタリー

 簡単に言うと「文学が全体主義(≒政府)によって意図的に消されようとしていて、とりあえずこのターンでは文学を守ることに失敗する、だが俺たちの戦いはこれからだ!(そして転生へ…)」っていう…っていう…。いや、重い。含みがなくても十分重いのに、当然この時期なのでコロナ禍の「不要不急」論が下地にあるから余計のしかかってくる。つーかまず消されかけたのが北原白秋江戸川乱歩、ともに「大衆」の支持を受けた作品というのもうまいよね…。んで「個」に響く作品を書く太宰がキーマンになるっつーね。思想のあるキャラ配置だ。

とはいえめちゃくちゃきれいなシナリオ・演出というわけではなく、正直よくわかんなかったり、やや急な箇所があるっちゃある*1。ゆえに私のこの「重い」は、このテーマをこんな真正面から描いちゃうのかよーーー!?という緊張感とイコールかな。めちゃくちゃ共感するとか、感動で打ち震えるっていうんじゃなくて、「うわ、これやっちゃうんだ!?」っていう。そうやってビビってしまったということは、私も思考停止の日和見主義者の素養があるということで、そんな自分にも「うわー」って思う、なんかそういう…そういう舞台だったな。

この作品でガン泣きする人がいるのも、白けて警戒してしまう人がいるのもわかる。私はどちらかといえば後者ではあるんだけど、でも、「どっちらけ」まで行かないのがすごい。言うたら文学賛歌、腹の膨れない文化を酸素に例えておきながら、文化は絶対的に正義・善なんだ!とは言わないバランス感がちゃんとあった。実際、文豪たちボロ負けしとるしな。人様の感想覗いてるなかで観た、3の太宰は無頼派の仲間のこともはるおせんせのことも口にしない=すでに彼らの文学は失われて、記憶も消されているのでは…という説が恐ろしすぎたよ…そ、そんな…無頼派あんなにかわいかったのに…。作品としての読み解きは当然文アル勢がうわてすぎるのでお任せします。さすが本読むジャンルの人…って感じでカッケーです。

んでまぁ、コロナ禍ですよ。席数が半分になってから観たのが刀ステ科白劇、ヒプステシブジュク、そしてこの文劇3なんだけど*2*3、それぞれがすごく象徴的というか、2.5次元ってスゲェなと思わせられる作品で興味深い。

2.5次元が特殊なのは、演劇が手段であり目的ではない、というところだと思うのね。演劇という様式を通して表現すべきものがある。それは表面的にはキャラクターのビジュアルだったり、原作のストーリーだったりするわけだけど、私が観た3作に関しては、また別の芯、別の目的があるように感じた。刀ステは変わってしまった「歴史」を記録に残した。ヒプステは(私たちが普通だと思っていたけれど、普通ではなくなってしまった)能天気で華やかな「エンタメ」を押し通した。そして文劇は、まさに時代を映す鏡としての「文学」を綴ろうとした。なんか、どれも2.5次元が「演劇をやるための演劇」ではないからこそ成立した作品に思えて、私やっぱ2.5好きだな、と思ったのでした。だって、キャラクターのビジュアルさえ作りこめば何をしてもいいってことじゃんねw

文劇3は文学だったのか、ということを考える。文学ってなんなんだろうね。3は、私が1を観て「めっっっちゃよくできてる!!」と感動したほどまとまってはいなかった、と、思う。一度じゃ拾い切れない伏線も多そうだし。でもねー、こうやって考えちゃうんだよ。私はこの物語をどう受け取ったんだろうって考えちゃう。それは文劇3があまりにも「この現実」に根差して作られたものだからでしょう。どこか・誰かの物語を安全な場所から消費するんじゃなくて、いま・ここにいる私に伸し掛かってくる。この同時代性こそ、文劇3が文学である証拠なのかもしれないな。

吉谷さんが開幕前にツイートしてらしたこの言葉。何も2.5次元でやらなくても、という理屈もわかる。わかるんだけど、観たあとは文劇じゃなきゃいけなかったんだろうな、とも思う。時代を映すのであれば、文学でなければいけないのだろう。そして文劇3を文学にするためには、ちゃんと魂が入っていなければならない。演劇の置かれた状況と文学の危うい在り方が奇跡的に重なってしまったからこそ、文劇は文学になれたのでしょう。

 んで、まぁ~~~~~人が死んだ(厳密には違うけど)よね!!!!!!なんと転生した文豪が全員死(=絶筆という消滅状態?)んだ。マジかよ。文劇、ひいては文アルが面白いのって、生死の概念があるところだよね…。なんせ文豪なもんで。もともと人で、すでにいっぺん死んでるもんで。刀剣乱舞との違いをあえて挙げるならこれでしょう。人が死ぬ2.5次元ガンダム00ぶりじゃないか!?w

1の時点で「あっ、これは死の概念がある世界観!」とハッとしたんだけど、それがまぁ如実で。文アルは“生と死”というテーマを切実に描けるのがいい。それにしても地獄よ。地獄地獄とは聞いていたが、終盤「なるほど地獄ー!」の連発だったっつーの。キャラが死んで、でっけー幕で「芥川龍之介没(没年付き)」って出てくるのヤバすぎるだろ!!!!と思ったんだけど(わりと興奮しました)、さらに「史実の没年順に死んでいく」という無駄ディテールで抜かりねぇ!!!と感動すら覚えた。推しの今際の際を目撃する体験is何。中也でちょっと泣いちゃった…。しかも「あ、さすがにもう死なないかな…」とちょっと安心した途端、残り全員死ぬ。しかも死んだ友に擬態した敵に殺されたりする。抜かりねえ。

んでオタクは何億回見ても「最終回のエンディングが第1話のオープニングと同じ」的なリプライズが大好物*4なので、ラストに興奮を隠しきれなかった。なんで何億回見ても興奮すんの?こんな常套ギミックで信じられないくらい救いを感じてしまったのだが???今度はいい館長と巡り合った結果が1、2なんだなあ、と思ったままでいさせて…。

うーん、すごいカロリー使う作品だし、手放しで何回も観たいものではないんだけど、でも、もうちょっと向き合うためにもう一度観ようかなあ、とも思っている。思い出されるフレーズは、「人の世は地獄より地獄的」。1のときは単なる芥川のキャラ台詞だったこのフレーズを「せやな」と思ってしまう現実よ。

芥川先生といえばめちゃくちゃエロかった喫煙お仕草がフェイスガードに阻まれてるのが!!!!これは!!!明確な悪!!!という感じでコロナへの新鮮な憤りを感じました。これだけ書いといてこのオチ。あ、あと白秋せんせの二丁拳銃は最高最高最高。闇落ちしてるとき、バカでけー二丁拳銃を腰から抜くのよすぎて笑った。

*1:席も!!!50番台だったしね!!!ステラの!!!

*2:感想は…書いてない…さぼった…

*3:しかも3作ともステラボールやんけ。こんなに嫌いなのに!!

*4:タイトルも「カノン」ですしねー!!やっほーカノン!刀ステ悲伝ぶり!

恋という美しくない行為

映画「窮鼠はチーズの夢を見る」観た。

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正直、いっちょ大倉の濡れ場拝んだろ!という下心が大半で観に行ったんだけど、ああやって実写で見ると恭一…おまえ…おまえという男は…(今ヶ瀬も今ヶ瀬やぞ…)という原作を読んだときの気持ちがよみがえってきたので、いい実写化だったんだと思うw 気持ちとしては恭一応援上映…っていうか野次上映よね。\そういうとこだよー!/\おまえのせいだよー!/って叫べたらめちゃくちゃ楽しそうな映画…。ボーイズラブという前に、ただ痴情がもつれているだけというか。愛になりきれない、恋のややこしいとこだけが詰まってるんでしょう。確か、原作のあとがきで水城先生が「レディコミ誌でBL描いたらこうなった」みたいなことをおっしゃっていたと思うのだが、まさにそんな感じで。美しい画で描かれる、決して美しいとはいえない恋。

途中で気づいたんだけど、この映画モノローグがないんだね。だから恭一の心の動きが余計見えづらかったりするのかも。モノローグがあったら一気にメロドラマ感増しそうだし、恭一、もしくは今ヶ瀬に寄った見え方になっちゃいそうだから、なしで正解な気がした。誰の気持ちもわからない、共感の入る隙がない感じが、恋という行為の本質なのかもしれない(誰かに共感してる人いたらごめん…それはそれで、恋の痛みを体感できるということだから、とても素敵なことだと思う)。

しかし大倉よ、こんなに体を張っているとは思わなかった…美しくない濡れ場スゲー。体当たりの度が過ぎるぜ。なんでこれに出てくれたんだw 「おまえはもう要らない」のとこがめちゃくちゃよかった。ずっとフラットだったなー。下手したらちょっと媚びた感じにもなっちゃいそうなキャラなのに。成田凌さんは正直美しすぎない今ヶ瀬で、これはこれで妙にリアルでどうしようもないな、って感じでよかったw 演技めちゃうま。んで濡れ場はどれも(対女も対男も)リアルともファンタジーとも言いがたい印象で、他人のセックスとは滑稽なものなんだな、と思った。

常に浮世離れしてる男とは対照的に女キャラが全員めっちゃくちゃ素晴らしくて、これ演じるの楽しかっただろうなぁ!!

これ女同士で観に行って、終わったあとお茶しながらあーだこーだ言うのが楽しい作品だと思うんだけど、結構ひとりで観てる男性もいて、この映画どうでした!?!?ってすごい聞きたかったw 何も起こらず、ただ痴情がもつれてるだけだから、まぁつまらんといえばつまらんのだが。でもそのもつれっぷりが面白いといえば面白い。不思議な映画だった。

Mステで令和の「男子」たちを見た

ゼロ年代の嵐が築き上げた「半径2キロの世界で生きる男子(男、ではないのがポイント)」というイデア、2020年バージョンはおまえらなのかよ!?という衝撃。Mステ9月4日のCreepy Nuts×菅田将暉「サントラ」が最高だった話をする。

私は別にANNリスナーでもなく、けどまぁクリーピーの曲はうっすら聞く、松永がなんやかんやかわいいことは知ってる、というくらいで、なんでMステを録画したかというと新しいミニアルバムに入ってた「サントラ」が結構好きだな、と思ったからだ。そう、そもそもこれめっちゃいい曲。

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大きくは「映画みたいな生まれ育ちやドラマみたいな過去じゃなくても」という生い立ち、そして「人の感情以外は何一つ生み出さぬ仕事」という俳優とミュージシャンの共通点(ひいては矜持)がこの曲の両軸なのだろうけど、なんだろうな、いわゆる「こじらせ」マインドからこういう死ぬほどピュアなものがぼろっと出てくると却ってグッとくる、みたいなやつ。ヒップホップのテクニックのことは私にはよくわからんが、このリリックの抒情性はわかるよ。青春映画みたいなリリック。意図したものなのだろうか。

あとこれがロック?パンク?なのがマジでスゴい。なぜって、この曲をカラオケでみんなで絶唱すると最高に気持ちいいっていう。あのねー、これブルーハーツとかモンパチとか、あの辺の「男子高校生が打ち上げのカラオケで叫びながら歌うやつ」の系譜なのよ。意図的なら「お、おまえら、自分らのこと""""理解って""""んじゃん…!」だし、無意識ならそれはそれで「お、おまえ、天然でやってんなら""""本物""""じゃねぇか…!」という戦慄が走るw

で、Mステ。この曲をパフォーマンスする3人はまるで世界に自分たちだけみたいに、放課後の音楽室にたむろってふざけるみたいに、夏休みの夜に公園で花火をするみたいに、卒業式の後のカラオケではっちゃけるみたいに、それこそ「半径2キロの世界で生きる男子」としてあまりに純度が高くて、私はもうブルブル震えるしかなかった。リリック飛ばしたRに菅田将暉とかが「うぇーーいww」つってニヤニヤするとか、そんなん好きでしょ!!!おい!!!オタクども!!!!生放送のハプニングに興奮を覚えたことのないオタクだけが石を投げなさい!!!

演出も最高だった、3人だけしか映らない空間で瞬く無数のライト。あれは彼らに注がれる無数の目や視線の暗喩でもあったし、そもそもセットとカメラと演者しかいないあの空間自体が「ライツ、カメラ、アクション」を形にしたものでもあったし。落ちサビで菅田将暉が浮かび上がるところとかもう最高でチビるかと思った。菅田将暉めっちゃ青春の顔で歌ってて役者スゲーーー!!!歌詞を演じながら歌うのがうめーーーー!!!!!

で、出演前のANN聞いたほうがいいよっつって聞いたら、「FNSとかでさあ木村さんが“今夜の祭りは~♪”とかって替え歌するじゃん、あれやりたい!ラップは入れやすいと思う!」つって盛り上がってて、「今日もMステから『どう調子?』」がまさかの木村リスペクト(なのか?w)だったことが判明して、前振りが完璧すぎるだろう…リリック間違いから替え歌回収すんのカッケーだろ(そして流れのドラマ性が高すぎるだろ)!!!!とビビった私であった。どうでもいいけど、ANN聞いてみたらそりゃみんな(オタク)おまえたちのこと好きになっちゃうよ…という感じで大変感銘を受けました。「自意識こじらせ」「自分たちだけの言語でキャッキャ言って盛り上がる」「卑屈だがなんやかんやで矜持と純度は高い」みたいなとこ。こいつら「木村スタイル」とか散々茶化しておきながら、いざ木村と対面したら絶対「木村さんカッケー!」ってなるタイプだと思う。

オタクにはそれぞれ「忘れられないMステ」の記憶があるが、今回の「サントラ」はその枠にinしてしまったな。紫スーツの「華麗なる逆襲」とか2週目の「Love so sweet」とか伝説の「スワンソング」とかアトリウムが揺れた「ズッコケ男道」とかギラギラのキスウマとか。

そんなCreepy Nutsが来週のMステに単独出演ということで。しかも共演者が嵐だのPerfumeだの強い。また録画しちゃうやつ。楽しみ。

 

何かを背負って走り抜く姿 悪くなくない? / TAKUYA KIMURA Live Tour 2020 Go with the Flow

正直行くつもりはなかったんですけど、チケット取れたからどう?って誘ってもらって行きました。

行くつもりがなかった理由はいろいろあって。まずSMAP木村拓哉じゃないから、とか、あとは木村とは音楽の趣味なんとなく合わないだろうなとは思っていて、コンサートつまんないなと思いたくなかったから、とか、複雑なオタク心ですね。まぁ実際音楽の趣味は別に合わないんだけどw「つまんなかったら嫌だ」という部分に関しては、本当に、すいませんでした!!!という気持ちです。いや、おもしろかったんですよ木村コン。絶対にもっとつまらないかと思ってた。びっくりした。もちろん虚無るタイミングはあるにはあるんだけどwそれ以上に、きちんと「アイドルのコンサート」のツボを抑えてきていたから驚いてしまったし、散々SMAPとして見てきても知らないことってあるんだなあ、となんだか感慨深くなりました。

木村拓哉がステージの上で歌う。この事実さえ担保されているのであれば、別にメインステージから一歩も動かず、2時間全編弾き語りでもよかったんですよ。木村が歌うということ自体に価値があるんだから、別にそれでもよかった。でもちゃんと、ちゃんと木村拓哉はアイドルでジャニーズだった。かっけー曲でゴリッゴリに歌い踊り、センターステージまでの花道を闊歩し、アリーナトロッコに乗ってファンサをし、SMAP時代の曲をしっかりと歌い上げ、本編最後はギッラギラのライダースをわざわざ羽織り、花火の特攻ガンガン上がるなかで『One and Only』。「誰にも真似させない」。そりゃ真似なんてできない。

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 そこにいるだけでじゅうぶんアイドルとしての義務を果たせる人が、なんでこんなに「私たちの見たい木村拓哉」をやってくれるんだ? そこでようやく私は木村拓哉というアイドル性の本質に気づいたのでした。まさしく、「求められるから、やる」ことに、木村にプライドがあるんだと。そしてそれは限りなくSMAP的でもある。SMAPというイデアへの奉仕。人が求めるSMAPという理想を演じながら30年走り続けて、もうどっちが自分なんだかわかんなくなっちゃうやつね。木村もやっぱりそうなっちゃうんだなー。SMAPのなかにはもっと強烈な人がいるから気づかなかったけど、木村拓哉も当たり前にSMAPの構成員だったんだな、といまさら気づいて愕然とした。もしかしたらこの手の奉仕の精神は、芸能界が平成に置き去りにしようとしているもの、かもしれないけど。

ああ、あとやっぱり『らいおんハート』のパフォーマンスに言及せざるを得ず。黒ずくめの衣装にマイクスタンド、4人のバックダンサーをつけて同じ振り付けでらいハはもうね、ダメでした。だってSMAPなんだもん。歌だけならあんなに泣かなかった。なんで視覚に訴えかけられるとあんなにダメだったんだろうなあ!!!不思議です。ダンスっていうかあれはたぶんフォーメーションで泣いたんだな…。なんだろうなあ、「SMAPの曲やってくれて嬉しい!」とは少し違って、ああやって再現されることで失われたものがまざまざと迫ってくる感じとでも言うのかな。

あとは歌詞ですねー。木村が最高のアイドルなのは、「人が書いた歌詞を演じるのが死ぬほどうまい」からっていうのもある。さっきの「求められるものに応える」にも通ずるけど。要は歌詞って、クリエイターの二次創作ですよ。木村レベルになるともう、提供してくれる人も「木村拓哉」というキャラクター性を無視するわけにはいかないはずで。そうやって生まれた、「誰かがフィクション化した木村拓哉」にいい塩梅のリアルを乗せてパフォーマンスするのがうますぎるんだわ。木村の曲だけに限らず、歌ってくれたSMAPの曲でも同じこと。「失ったものはみんなみんな埋めてあげる」をいまの木村が歌う迫力たるや。そして「あの頃の未来に僕らは立っているのかなぁ」の「あの頃」は、20年前と10年前と5年前といまではすべて違うんですよ。単なる歌詞を超えて「意味」がブワッと広がっていく、そんなアイドルなりの特殊能力を目の当たりにしました。

言いたいことはとてもたくさんあるんだけど、あんまりまとまらないな。Twitterで垂れ流したのを貼っておく。そうだそうだ、開始早々「拓哉〜!」って呼ばれまくってて、木村が拓哉と呼ばれる現場はとてもいいもの!!!!原点というか、ああ呼ばれることでアイドルのスイッチがカチッと入る、という側面もあるのではなかろうか。未来の私はこのコンサートのことをどんな風に思い出すんだろうな。SMAPの話をするとどうしても運命とか宿命とか大きな歴史の流れとかそういう話をしてしまうんだよな…。そして私がきっと待ってしまうんだろう。稲葉さんが「想像以上 絆は強いし / また会う日まで」と書いてくれたから、そして木村がシャウトで歌ってくれたから、ただただ待ってしまうんだろうな。それくらいはさせてほしい。

 

太陽の子がもたらすものとは何か/舞台「DECADANCE」~太陽の子~

チケットあるよーって誘ってもらって行ってきました。いまをときめく塩野先生、そして長妻、さらには去年合計で何回見たんやという猪野・小南がメインを張るという混線ぶりよ。座組みの段階ですでに趣き深かった。作品としてもおもしろかったです!

2.5いろいろ観てるわりに意外と西田演出には出会ったことがなく、唯一観たことあるのがよりによって『四谷怪談』というね。けど2作目にしてなんとなくわかってきたぞ西田演出!エモい感じの女性ボーカル曲に慟哭!ちかちか照明!そして暗転!みたいなやつや!!!照明づかい…というか、暗闇づかいが西田さんっぽさなのかな。何も見えない暗闇に灯るひかりを数える感じ。物語のかけらを拾い集める作品というのかな。演出だけじゃなくて物語も、一本筋のストーリーを辿るというより、そこここに散らばった感情や出来事をつなぎあわせると作品の輪郭が浮かび上がってくる、という印象を受けました。まあ親切なつくりではないよね、長いしねw 情報量が多いし、その散りばめかたは決して親切じゃないから結構疲れる。けど、かけらを集めることを楽しめる人は通いたくなるだろうし、2回目からは解像度もグンと上がるんだろうな。私が貧しくなければもう1回くらい行ってもよかった…長いけど…長いけどね…個人的にはせめて休憩込み3時間で収めてほしい。好きな言葉は「休憩なし2時間」です。吉谷さん大好き。

…つーわけでいろいろと着目すべきところはあるんだけど、簡単に。結局「太陽の子」とはなんだったのか、なぜ塩野先生(キャラ名覚えられねー!キャスト名で行くね!)が太陽の子だったのか、っていうところ。物語の舞台が中世っぽいことを考えると、塩野先生が「太陽の子」である所以はその性格ではなく、「星(太陽)を読める」からだったんだろうな、と観ながらぼんやり思ったのでした。もしかしたら天動説と地動説のはざまの物語なんじゃないかな、って。世界史に全然詳しくないからあくまでカンなんだけど…

星の移ろいや天災も神の意志だと考えられていた時代において、星=暦を読めるというのは神にも比類する才能なわけで。星が同じ周期で移ろっている(=神の管轄外である)などと考えもしない時代において、「皆既日食を予言する」なんてそれこそ人間業ではない。きっと塩野先生は、子どもの頃から星を見て「もうすぐ冬が終わる」とか予想していたのではないかな。もしかしたら、やさぐれるきっかけとなった「大きな発見」とは、それこそ「天が回っているのではなく、地(地球)が回っている」という事実の発見だったかもしれないなあ〜と思いました。超ifだけどね。神の時代から人間、科学の時代へ。子どもから大人へ。旧い時代から新しい時代へ。

そうすると、革命のもうひとりのキーマンであるアンナが祈りを否定するのもなんとなくわかる。神に祈らないということはつまり、神を信じないということだから。アンナの母、王妃が祈り続けていたのとは対照的。これもひとつの親殺しというか、旧い時代の克服といううっすらしたテーマがあるんじゃないかな〜。魔女狩りというモチーフも近代手前=神の時代の象徴であろうし。「ここが太陽の中心だ」が破滅の言葉だとすると、やっぱり人間中心主義というか、世界の中心が神から人に移った感があるように思います。

…とか言いつつ、革命軍?が「国家は神をモノとして扱いやがる」とか言ってた?からわからんけどね。革命が起きたあとはどんな国になるのだろう。長妻はなぜ「月の子」だったのだろう。もしかしたら「みんな幸せに暮らしました」とはいかないかもしれないな。

やーーっぱ1回じゃ拾いきれない伏線が多すぎる。正直結局いのちゃんさまはいったい何者?近衛兵団どういう立ち位置?王様なんなの???クーデターされることがわかってて玉座に座ってた的な????何????????っていう…2幕で仮装祭始まったあたりから全然わからんかった…w 一見散らかって見えがちなのも西田作品の特徴なのかなあ?ギリギリむかつかないラインに散らかりというか、緻密に組み立てたうえでわざとわかりやすくしてないんだろうなあって気がしますね。西田作品が好きな人はそういうとこが好きそう。私も嫌いじゃない…けど、もうちょっとわかりやすくてもよくない?とも思うw ふとした瞬間に「あれどういうことだったんだろう」って考えちゃいそうで悔しいな〜!

キャストの話もします。塩野先生〜!意外とタッパないんだね…!キャラクター的に主演感はあまりなかったものの、中の人のアツさが板の上に表れていて「おお…野心のある人だ…」という感じでよかったです。佇まいでキャラクターを表現するのがうまいのであろう。姿勢の悪さがイイってあんまりないよね(わざとだろうけども)。いやーしかしこの作品、塩野先生の印象が薄いというより、長妻(のキャラ)がオイしすぎる説ですよ。長妻よかったなあ。クール王子キャラまじで!?と思ったけど結構声低いし、殺陣に華があるし、塩野先生は頭で考えてキャラを作る俳優だろうので、逆に長妻の「野性のカンでやってます」感が際立っておりました。せっかくの長妻なら陽キャ役を観たかった感もありますが、それはまあいずれ。きっとどこかでまた出会うことでしょう。

いのちゃんは相変わらずの器用。ソツなくうまい。絶対2.5よりストレートプレイのほうがいいと思う!!!主演よりこのくらいの番手のほうが私は好きかも。誠治郎さんとの殺陣めっちゃ速くて興奮しました。そんで小南はもうね、ちゃんと演劇できてて私は胸熱ですよw 引き出しとしてはあんステDRの俺様ちゃんかな。セリフの抑揚や身振り手振りにDR(アホほど観た)の残滓があって、勝手に感動しました。このまま順調に上手くなっていきそうで楽しみ。なんとなく去年の文アル〜あんステDRの期間くらいが小南の俳優としてのターニングポイントだったんじゃないかなあって思ってるから、いつか答え合わせしてみたいな。

長妻と小南の縦に細長い陽キャコンビ、絶対かわいいからもっとSNSとかで見たい!!!!!怜央呼びかわいい。

 そんで田中良子さんはずるいよね。もう出てくるだけで泣いちゃうでしょ。賢志超〜かっこいい王様だったので余計に。チェスのシーン大好きだった!!!!!泣いちゃう。しばらく神父の萩野さんと見分けがついておらず(というか神父が賢志だと思っていた)、「2役やってるんだ〜」と思ったのは内緒です。

 

なんやかんやで愛しちゃう/『あんさんぶるスターズ!エクストラ・ステージ』~Night of Blossoming Stars~

2020年現場始めでした。あんステだよー!

正直前作(UNDEAD…というか推しの零様メイン公演)に人生イチの全力を出してしまったので、余生感覚で観てしまったところは否めない。いや、でもね、やっぱりあんステはいいですよ。あんステやっぱいいなあ〜ってなった先に原作への信仰心が高まる。この現象すごい謎。初演からずっとそう。

今回は追加ユニットのSwitchとTrickstarが2軸になっていて、Switchはもちろん初登場、Trickstarは初演からずっとキャストが同じなのでもはや貫禄がすごい。演出の宇治川さんて…別に…演出が…うまくは…ないと思うんだけど…もしかしたらキャストをノせて板の上に立たせることが得意なのかなあ。あんステ出るキャストって、なぜかオタクが求める以上にあんステのこと好きなんだよねw 意外とアツい想いで演じてくれているので、原作オタクとしては毎回「ありがとな…!」という気持ちになる。宇治川さんのディレクション、プラス、やっぱりキャラやストーリーラインの強さがそうさせるのかな。

それにしたってまあ、宇治川さんは、暗転と「それ、ほんとに必要!?」っていうシーンが…多い…よね…いやまあいいんですけど(いやよくないか)、観客が「待つ」時間がけっこうあるのにもはや慣れてしまっている。あんスタは原作のシナリオがかなり特殊、個性的、深淵、濃厚ですので、それを再構築するのは大変なんだろうなーというのはわかる。わかるし、エクストラステージ(ユニットごとのスピンオフみたいなもん)だととくに、メインストーリーを踏まえてのエピソードだったり、時間軸が過去に飛んだりするから、初見向けにわかりやすく作るのはもう…無理なんだろうなw いうて私は原作オタクなので、ファンアイテムとしてのあんステは大好きですよ。あんステは演劇作品として成立させようとしているのではなく、だいぶファンアイテム寄りの2.5よね。あくまで原作の派生、補完であるという。「ああ、あのセリフをこの表情で!」みたいな原始的な発見あるし。

シーン数多いわりに間延びするし暗転も多いなwwwと思いつつグッと来てしまうのは、原作シナリオをそのまま使ったセリフがま〜〜〜〜〜〜強いからでしょう。もうねー小澤廉さんにスバルのセリフ喋られるとダメだよねw あんスタの決めどころのセリフは本当に強い。たとえ前後の因果がわからなくたって、たったの1、2ラインでグッと迫ってくる強さがある。

細かいシーンの切り貼りが謎に多いのがあんステの特徴でもありますが(disです)、あの…なんだっけ、Valkyrieがアレする…あの一連のくだりのリプライズは私はとても好きでした。まだユニットを組む前のトリスタが偶然同じステージに立ち、旧Valkyrieが崩壊し、中学生の友也と創が純粋な憧れだけを胸に抱いている。境遇も心境もまったく違うキャラクターたちが夢ノ咲学院という場でそれぞれに群像劇を繰り広げていて、それぞれは一見関連がないように見えるのに、確実にひとつの大きな物語を紡いでいるという、その感じがめっちゃ私の好きな「あんさんぶるスターズ!」だなって。あんスタは群像劇であり壮大なクロニクルでもある。切り取りかたによって悲劇にも喜劇にもなる、そういうところが大好きだな、ってあんステはいつも思い出させてくれるんですよぉ…。突然過去作に刺されるとこもいい。校歌のイントロが流れ出した瞬間に蓮巳と零様の終わりの始まりを思い出すし(DR)、なずなの悲痛な独白とBGMでValkyrieの美しさを思い出す(MoM)。3年続いたあんステ独自の歴史が確かにあるんですな。胸熱。

初登場Switchキャスト、カンのいいヤツが3人って感じでとてもよかったですね!!木津つばさ先生はもう言わずもがな、絶対に難しい夏目をしっかり作り込んでらしてさすがです。冷静に考えると、「本音を言うときだけセリフのフォントが変わる」ってなんだよ!!!!という。セリフ回しに照れがないのと、大仰な身振り手振りがスゲー!キレッキレダンスちょ〜〜〜〜かっこよかったな〜〜〜〜!!!!!!!やっぱりさ〜五奇人…見たい…よね…あんステフェス…頼む…マジで…どう考えてもつばさが最強を誇る五奇人になる…見たい…見せて…

 青森出身の25歳ド新人こと工藤ちゃん(Byレンオザワ)も、まあそりゃあダンスとかはアレですが、「お、おまえ、意外とやるやんけ…」っていうあんステあるある。こういう「いや、君、誰!!」な若者が意外な器用さを発揮して、だんだん成長してくのを見届けることこそあんステの醍醐味みたいなとこあるよ。ダンスの体幹がないゆえに長すぎる手足を持て余してバタバタ踊る感じ、知ってる!!!www ただギャグシーンの間も謎によく、なんせ声がとてもいいので今度に期待です。筋トレしような。あと小顔すぎて頭がウィッグに埋もれてる。

 世古口くんの宙ちゃんは言うことなし。かわいい。安定のプロショタ。乱数も楽しみ。

 トリスタではやっぱりもう、レンオザワ大先生よね。なんでこんなにスバルなんだろう。拝むレベル。ここが似てるとかいうレベルじゃなくて、もはや「そのもの」なんだよなあ…スバルのセリフをあんなにスバルらしく言えて、あんなに瞳がキラキラしてて、華があって、真ん中にいるのが似合う人いる…?よしまちの星持ち理論だと完全にキングだし、なんならセンターの星もエースの星も持っている。スバルもそうだしレンオザワもそう。久々のキラキラストリームありがとうございました。

 

 しかしね、今後きっとメインストーリーに戻ってキセキシリーズをやるんだろうけど、そろそろキャストのキャリア差問題と、キャストの高齢化問題が深刻ですよw トリスタと現fineが並んだらまっっっったく対等に見えないだろうしなあ〜〜〜〜〜。これは少しずつキャス変してきた弊害ですね。ぶっちゃけそろそろトリスタキャス変したほうが全体のバランス取れそうなんだけど、他のキャラはともかくレンオザワ以外にスバル演れる若者がマジでマジで見つからんでしょ。Edenを強めのキャストで揃えて現トリスタのまま完走させる?いや〜〜〜まあそりゃトリスタvsEdenという意味ではそうなんだけど、でも全キャラで並んだときのバランスさすがに悪くないかあ〜〜〜???
そんなこんなで、今後はどういう感じでキャストを調整していくのかが気になるところです。学生モノはほんと難しいっすね。作中は数ヶ月しか経ってないかもしれないけど、初演から3年経ったら役者は3つ歳を取るわけでね…そういう意味で刀剣乱舞とかいいよね。「そろそろキツいな…」的な気まずさなさそうだもんね。2.5次元も地味に高齢化問題ある。高齢化っつーか、上が詰まってるっつーか…2.5の次のキャリアをまだみんな模索してる最中って感じ…みんな頑張ってくれ…幸せになってくれ…
いろいろツッコミどころはあるものの、総合的にはめちゃ楽しんでいるので、今後もシリーズが続く限りは追いかけますわよ。1ヶ月気が狂い続けたDRの感想も残しとけばよかったな…ただただ気が狂ってただけだけど…。